35'S DAYS JAPOBOLIVIANA

青年海外協力隊生活@ボリビアで得たこと、帰国後の日本での生活・仕事ぶり、子育てのことなどについて気ままに書き綴ります!!

#045 青年海外協力隊と断捨離

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 青年海外協力隊での生活は、いわゆる日本での生活からは離れていて、非日常の繰り返しな場合が多いです。今日は帰国後の気持ちの切り替えについて。物・心の整理がその後の活動を円滑にしていく秘訣かなと思います。正直、帰国後は何もかも上手くいきませんでした。こんなの簡単、と思っていた、日本の普段の生活にも馴染めず悲しく、スペイン語もできるようになったことだし重宝されるだろうと思っていた就職活動も上手くいかず。とどめには大失恋。とどめというか、むしろこれがすべてをネガティブな方に引っ張っていたかもしれません。

 

世界一周の旅と気持ちの切り替え

何をしても上手くいかず、涙が出てきてしまい、悲しい気持ちが抜けなかったので、いったん始めた就職活動もストップ、たまたま見つけた世界一周の船の旅のボランティア通訳(スペイン語)に応募して、火事場の馬鹿力で合格。いざ出発。半分仕事、半分遊びという立場だったこともあり、社会復帰には私としてはもってこいでした。通訳の仕事は事前の下調べに相当の労力を使います。通訳の相手が日本人だったこともあり、日本人と接することにも徐々に慣れていきました。同僚にあたる通訳仲間は皆海外の経験があるため、自分への理解が抜群。その中にはエルサルバドル(中米)出身の同僚もいて、話を聞いてくれては、私が寂しくなるツボをおさえてくれていました。彼はもはや大分偉くなってしまい、公使という立場で国連職員として働いていますが、今でも心の友です。

 

そして断捨離

再度帰国後。やはり私のひっかかりは失恋だったので、手を打つことに。出発前は勇気を奮えなかったところですが、やっと着手できる気分にまで回復したので、いざ断捨離。ほんの少しでもその人を思い出すような物は、服でもカバンでも写真でもなんでも捨てることに。その量最たるものや!しこたま物を捨てたら、とても気持ちよくて、またゼロからスタートできるような気分になりました。部屋は綺麗だし、何かをしようと思えばスムーズ。そんなころ改めて取り組み始めた転職活動もうまくいき始めた感じです。結局、「モノは必要最小限に限る」ようです。思考自体もシンプルになり、重要なことだけを切り取る、ことが上手になった気がします。

  

まとめ

ついつい青年海外協力隊の成功体験というものは自慢したくなってしまうし、過大評価しがちです。ですが、ここはひとつ冷静になってみるのが得策です。世間はそんなに甘くないし、相応の経験をしている人は世の中ごまんといます。自分を客観視した上で、上手に売り込んでいけるようになると、次なるチャンスが開ける、そんな気がします。私の場合、青年海外協力隊からの帰国から1年ほどかかってしまいましたが、気持ちを100%切り替えて、仕事をゲット。今だから思えることなのかもしれないですが、人生っていろんなことが起こるから面白いし、自分次第で建て直しは可能です!

 

今日はこの辺で。そろそろボリビアでの具体的な話も書いてみようかなと思います^^

 

#044 青年海外協力隊経験者と帰国後の逆カルチャーショック:★出発前後必読

青年協力隊に限らず、長期で海外に出る方には出発前に「逆カルチャーショック」という概念を予備知識としてもっておくことを断然おススメします。つまり、思いの外帰国後に日本に馴染み直すことに苦労をすることがあり、ビックリ!ということです。私も心構えがあればいくらか楽だったハズ、、と思うので出発前の方に是非読んで頂きたいです。また帰国後に違和感がある方もスッとするかもしれないです。

 

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これもまた個人差があるかと思うのですが、私の場合は任国であるボリビアの暮らしに慣れるよりも、帰国後に日本に慣れ直すほうが何百倍も労力を使いました…むしろボリビアの暮らしにはスッと入り込めました。というのも、そもそも出向く際に、「そうとう日本と異なる暮らしになる、頑張れ私。」という決心の下出発しているので、諸々の非日常やハプニングは所謂「想定の範囲内」でした。そして帰国後…。主なる症状(?)はこんな感じでした。

 

 

日本は行き交う人々同士の挨拶が希薄に感じられる

ボリビアの任地は誰もが知り合い、というレベルの村に住んでいました。道ですれ違えば挨拶が当たり前でした。ということで、帰国後近所の面識のないおばあちゃんに元気よく挨拶したら微笑まれました、、、昔は日本もこんな感じだったのではないかと思うのですが…。

 

3分おきに来る山手線に走って乗車する人々に困惑

⇒1ヶ月もすれば自分も走り乗ってましたが、最初は何をそんなに生き急いでいるのかと思いました。あと人が多すぎで酔って疲れてしまい、新宿の街に30分と立っていられず悲しい気分になったことを今でも覚えています。。

 

お店の丁寧過ぎる対応に気持ち悪さを感じる

⇒ホスピタリティの充実してない環境での暮らしに慣れてしまったため、丁寧なのが逆に苦手になってしまった自分がいました…。

 

とにかく任国の人や文化、料理が恋しい

⇒逆ホームシック。街中で時々ボリビアやベル―の人達が「コンドルは飛んでいく」の曲なんかを演奏していることがあるのですが、思わず話しかけていました笑。

 

スペイン語でない暮らしや感情表現への違和感

⇒任地のボリビアでは、下手でもなんでもスペイン語しか通じないので、2年間、知らず知らずのうちに喜怒哀楽の感情表現はスペイン語で行っていたみたいです。なので、日本語で話すことがそもそもしっくりこなくて、帰国後しばらくはスカイプボリビアの友人と話して心の健康を保っていました。

  

 家族や友人との会話がかみ合わない

スペイン語での会話が自分の中で自然になっていたこととも関係がありそうですが…。笑のツボ?なんかもオカシクなってしまったようです笑。しかもやたらラテンかぶれ?な感じになっていて、周りはめんどくさかったのではないかと笑。

  

空気がフワフワ感じられる

⇒標高の高いボリビアは酸素が希薄でした。その環境に体が順応していたため、日本に帰ってきたら私にとっては酸素が多く、帰国後1週間くらい、過呼吸に似たような症状が出ました。

 

 

こんな感じです。必ずしもネガティブなことではないのですが、こんな反応が自分に出るとは思ってもいなかったので、かなり困惑したし、多かれ少なかれ、協力隊の仲間は同じような経験をしています。こうなる、と予め分かっていればそのショックも少ないのかなぁと思います。何がって自分が生まれ育ってきた国に簡単に馴染めないのは本当にビックリでした。

 

あと、一度この経験をするとおそらく免疫ができます。その次の長期滞在後にはこの症状がほとんど出ないっぽいです。自分の中でシミュレーション出来ているから困惑しないんだと思います。実際、協力隊から帰国してから3カ月強に渡って世界一周をしたことがあるのですが、その時は一切逆カルチャーショックには悩まされませんでした^^

 

ということで、これから長期で海外に赴任するかもしれない、というそこのあなた、逆カルチャーショックたるものの存在を認識せよ!です。

 

ではでは😎

#043 青年海外協力隊 出発直前編

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今日は青年海外協力隊への出発間際の話です。すったもんだが無かったわけではないのです…。私のマイペースな性格に起因する問題で、やっと自分の中では時効。自戒の念を込めて、また後続のみなさんがそんなことにならぬよう、あえて書きます。

 

初めての海外移住だった私。小荷物で、支度も早々に終え、ゆとり持っての出発、のはずでした。…が、そうはいきませんでした。いま流行りの「ミニマルな暮らし」が当時の私に備わっていれば、どんなにか心も体も楽だったことか笑!

 

あれもこれもと持っていきたいものが膨れ、また2年実家を空けることになるので、それなりの片づけも必要。もともと何かのために色々とっておきたい性分の自分だったので、モノの多いこと。そして、結局出発当日の早朝までその準備は続きました。

 

問題は…実は、当時の恋人が出発前日に一緒に過ごそうと成田空港近くのホテルをとってくれていました。…が私があまりにも支度が終わらずで、そこに行けなかったのです…いま思えばそこから関係がチグハグしたのかもしれません。私は「致し方なし、現地にも訪ねてきてもらおう」というような甘い気持ちがあったのだと思います。でも相手にして見れば2年間会えないかもしれない、しかも多少なり危険な地域に旅立つ相手が前日のその時間を捻出できないことに途方に暮れたかな…。もちろん優しい人だったので「仕方ないし、自分のペースで支度を続けて」との返事でしたが、たぶんあり得なかった…最悪な事態を招いた張本人でありながら、私自身相当落ち込んだし、相手もまたそうだったことでしょう。約束は…守るものだし、セルフマネージメントが行き届かなかった当時の自分、大反省です。

 

教訓

① 準備は余裕持ってせよ

② 日頃から所有物は最小限にせよ

③ 周囲は自分よりセンシティブな可能性大。意識的にケアせよ。 

 
書いていて久々にブルーです。さようなら、かつての青い自分。
ではでは(==;)