35'S DAYS JAPOBOLIVIANA

青年海外協力隊生活@ボリビアで得たこと、帰国後の日本での生活・仕事ぶりについて気ままに書き綴ります!!

#047 青年海外協力隊:赴任と現地語学研修編

半年以上も更新が停滞しており…失礼しました!これからも細く長く続けていく所存です^^毎年このシーズンになると、青年海外協力隊の春募集にともなってか、ブログを見て下さる方が増えます。ありがとうございます!ということで再開です(内容は当時のものです)!

 

■任国到着後、最初の1カ月間:ホームステイ+語学研修

任国に到着するとまず最初の1カ月間は語学研修がありました。日本ではサバイバル出来る程度の基礎を習得した訳なのですが、各国ならではの言語表現・文化に慣れるためにも、ホームステイをしながら現地の語学学校に通う機会があります。本当にJICA,手厚いです(その分任地赴任後の活躍は期待されているのですが!)。クラスはレベル別。私は最終的にはプレゼンの実演までさせてもらい、赴任後に役立ちました。

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■語学研修中のボリビアならでは体験 

散策と安全対策:語学研修を受けていたボリビアの実質上の首都ラパスは軽犯罪都市…というと聞こえが悪いですが、スリ等の多いところです。平和ボケしてしまっている日本人の私たちには思わぬタイミングでやられます。市場の人の多いところで先住民のおばちゃんと軽くぶつかったと思ったら携帯をすられた、道をいつも通り歩いていたらいつの間にか鞄が切られていて財布がなかった…という外国人多数です。ということで、語学学校の先生と一緒に、街歩きの際の注意を受けながら市内を散策する機会がありました。現地の人から学ぶのがやはり一番です。またボリビア国内にはミニバスといってバンタイプの乗り合いピックアップのような乗り物が主要な移動手段でした。乗り方・降り方・支払いの方法なども語学学校の先生の引率の元習得しました。

 

ボリビア料理:ホームステイをしているので、ボリビアの家庭料理を一通り食しました(ジャガイモ多い…)。また標高が高い都市、ということもあり食事の摂り方・作り方にも工夫がありました。日本と比べると朝はあまり変わらず、昼は2時間ほど休憩をとるのが一般的で、家に戻って摂る人多し。メニューはスープ+メインでがっつりめ。夜は消化のことを考えてパンと紅茶程度。沸点が80℃ほどと低いため、お米などの調理の際は芯が残らぬよう油と塩で炒めてから炊く、圧力鍋を使うことも多い、ということが分かりました。

 

ペーニャボリビア多民族国家です。地域ごとに特有の名物ダンスや音楽があり文化的に非常に豊かなところです。ラパスのような都市だと、夜にお酒を飲みながらその文化に触れることができます!ペーニャと呼ばれるイベントのようなものです。夜比較的遅いのと、お酒が入ることもあり、これもまた身の回りには要注意!現地の友人と行くべしです。

 

パロ・シビコ(ストライキ:1カ月の間だけでも何度かのストライキに遭遇しました。交通機関がストップしたり、催涙ガスが撒かれたり…日本ではありえないことが意外と普通に繰り広げられていました。世の人々が政府等に訴えたいことがある際に実力行使に出る…人間らしい主張方法なのかもしれません。ストライキ等際には情報収集が大切。とはいえ、我々外国人にはなかなか分かりづらいものなので、信頼できる現地の友人を頼るのが心強いです。

 

■任地訪問

この1カ月の間には任地の村への事前訪問の機会がありました。JICAの調整員と呼ばれる担当者と一緒にこの先2年間お世話になる所属先を訪問し、オフィス状況・居住地・安全面の確認を行うものでした。ここもいきなり一人で、ということではなく安心でした。私の場合は日本出発前に前任者から話を聞けていたので、その時の情報を頼りに、関係者と話したり、村の案内をしてもらってはなるほど~と頷き歩きました。前任者のお陰あって、村の人たちは外国人の存在には慣れていて、おっ、「新しいのが来たぞ」というような反応でした。事前情報やイメージとの乖離も特になく(というか、何があっても対応するぞ~という気持ちで挑んでいたこともあり)、これも無事完了。 

micco35.hatenablog.com

 

とにかく言えるのは、青年海外協力隊は国によるボランティア事業であるが故に、制度・安全対策等がしっかりしていると思います。これを上手く活かすもそうしないもあなた次第。意志があれば充実した2年間の活動期間になります!ではでは。

#046 青年海外協力隊:いざボリビアへ&高山病

さてさて今日はいよいよ、青年海外協力隊へ出発の話。同じ国に同じタイミングで派遣される仲間と一緒の飛行機で旅立ちます。直前まで行われる派遣前訓練から行動を共にしている顔なじみのメンバーなので安心です。JICAがフライトを押さえてくれ、また現地のJICAスタッフが空港まで迎えに来てくれるのでここも無駄な心配は無用。本人たちは体のコンディションと自分の荷物をしっかり整えていればOKです。私の場合は同じタイミングにボリビアに派遣された青年海外協力隊が12人(多い!)に加え、シニアボランティアとその奥様の2人が一緒でした。またJALのご厚意か何かで出発前にはラウンジを使わせてもらえました。その先に途上国で諸々の苦労をすることを考えるとありがたい最後の贅沢と思いつつ、普段使い慣れない環境にそわそわした記憶があります。

 

 

英語話せなくなってる?!

日本を起点にして、地球の真裏に位置する南米ボリビア。正直遠かったです笑。直行便はもちろんないです。成田⇒シカゴ⇒マイアミ⇒ラパスという旅程で、トータル32時間の旅でした。途中のハプニングとしては、経由地ががアメリカで英語が全然話せなかった、ということ。私はもともと外国語が好きで、英語もそこそも話していたのですが、なんと派遣前訓練でスペイン語習得に集中した結果、ほとんど自由に話せなくなっていて本当に驚きました。いまでこそ、英語とスペイン語の話分けはほぼ出来るようにまでなりましたが、当時の私の外国語脳には無理でした。相手が言っていることは分かるのですが、私の口から出てくるのはスペイン語でした…幸いアメリカにはスペイン語を話す人も沢山いるので、困りはしなかったですが、とにかく驚いたことを覚えています。

 

 

ラパス着陸30分前

ラパスのエルアルト空港はなんと、世界で一番標高の高い海抜4,070mに位置します。エルアルト、とはスペイン語で「高い」を意味するのですが、納得笑。そこで、到着後すぐに高山病になることが予想されていたので、着陸30分前に高山病予防策として飲み慣れているバファリンを服用しました。個人差はあるのですが、標高2,500mを越えるあたりから高山病の症状が出る人がいます。主な症状は頭痛、吐き気、ひどいと意識が遠のく等。対処としては事前に高山病対策の薬(現地のソローチェという専用の薬や持ち合わせの痛みどめ)を服用する、100メートルでも200メートルでも低いところにいち早く移動する、酸素を吸入する、です。

 

 

ラパスエルアルト空港到着

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エルアルト空港には高山病対策用の救護室や酸素ボンベ完備されていました。人間の体は本当に上手くできていて1週間もすると高地順応してくるので、心配しすぎることはないです。またこうなることを事前によく理解して、驚かないことが大切です。ごくごく自然な体の反応です。ちなみには私は本当に環境の変化に鈍感で、高山病にひどく悩まされる、ということはありませんでした。どちらかというと、女性より男性陣の方が、苦しそうでした。そうそう、みんな大きなバックパックを持っていくと思うのですが、いきなり標高の高いところに着く場合、どっこいしょ!と勢いよく担ぐのは厳禁です!これをきっかけに高山病の症状がでること、よくあります。とにかく動きはスローに、落ち着いてゆっくり行動するのがよいです。また少しぼんやりしているところを狙ってくるスリなどもいるので、身の回りの荷物には要注意です。これは普段からの生活にも言えることですが!

 

 

ということでやっとボリビアに到着するまでをお伝えできたので、この先はボリビア国内のことや活動について触れていきます!ではでは^^ 

#045 青年海外協力隊と断捨離

Photo credit: sailn1 via Visualhunt.com / CC BY

 

青年海外協力隊での生活は、いわゆる日本での生活からは離れていて、非日常の繰り返しな場合が多いです。今日は帰国後の気持ちの切り替えについて。物・心の整理がその後の活動を円滑にしていく秘訣かなと思います。正直、帰国後は何もかも上手くいきませんでした。こんなの簡単、と思っていた、日本の普段の生活にも馴染めず悲しく、スペイン語もできるようになったことだし重宝されるだろうと思っていた就職活動も上手くいかず。とどめには大失恋。とどめというか、むしろこれがすべてをネガティブな方に引っ張っていたかもしれません。

 

世界一周の旅と気持ちの切り替え

何をしても上手くいかず、涙が出てきてしまい、悲しい気持ちが抜けなかったので、いったん始めた就職活動もストップ、たまたま見つけた世界一周の船の旅のボランティア通訳(スペイン語)に応募して、火事場の馬鹿力で合格。いざ出発。半分仕事、半分遊びという立場だったこともあり、社会復帰には私としてはもってこいでした。通訳の仕事は事前の下調べに相当の労力を使います。通訳の相手が日本人だったこともあり、日本人と接することにも徐々に慣れていきました。同僚にあたる通訳仲間は皆海外の経験があるため、自分への理解が抜群。その中にはエルサルバドル(中米)出身の同僚もいて、話を聞いてくれては、私が寂しくなるツボをおさえてくれていました。彼はもはや大分偉くなってしまい、公使という立場で国連職員として働いていますが、今でも心の友です。

 

そして断捨離

再度帰国後。やはり私のひっかかりは失恋だったので、手を打つことに。出発前は勇気を奮えなかったところですが、やっと着手できる気分にまで回復したので、いざ断捨離。ほんの少しでもその人を思い出すような物は、服でもカバンでも写真でもなんでも捨てることに。その量最たるものや!しこたま物を捨てたら、とても気持ちよくて、またゼロからスタートできるような気分になりました。部屋は綺麗だし、何かをしようと思えばスムーズ。そんなころ改めて取り組み始めた転職活動もうまくいき始めた感じです。結局、「モノは必要最小限に限る」ようです。思考自体もシンプルになり、重要なことだけを切り取る、ことが上手になった気がします。

  

まとめ

ついつい青年海外協力隊の成功体験というものは自慢したくなってしまうし、過大評価しがちです。ですが、ここはひとつ冷静になってみるのが得策です。世間はそんなに甘くないし、相応の経験をしている人は世の中ごまんといます。自分を客観視した上で、上手に売り込んでいけるようになると、次なるチャンスが開ける、そんな気がします。私の場合、青年海外協力隊からの帰国から1年ほどかかってしまいましたが、気持ちを100%切り替えて、仕事をゲット。今だから思えることなのかもしれないですが、人生っていろんなことが起こるから面白いし、自分次第で建て直しは可能です!

 

今日はこの辺で。そろそろボリビアでの具体的な話も書いてみようかなと思います^^